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スポーツ医科学(労働と運動・スポーツの違い)

渡邊 義行(岐阜大学)
 あるJA関係の集まりで、ともすれば現代病・文明病として運動不足病(肥満、高血圧、糖尿病、循環器疾患等)になりがちなので、1日1万歩を目標に運動やスポーツを行うという「運動・スポーツのすすめ」に関する話をした時、会場から「自分たちは毎日田畑で体を動かしているので、さらにこれ以上からだを動かすような運動やスポーツをする必要はないと思うが」という質問がありました。確かに農作業においては、重い物を持ち上げたり、あちらこちら歩いたりの労働形態をとります。重い物を持ち上げれば、筋力トレーニングになります。あちこち歩けば歩数をかせぎ、消費カロリーも大きくなります。つまり、農作業をしていれば決して運動不足ということにはならないのではないかという指摘です。
 生理学や運動学の面から見れば、労働と運動・スポーツは肉体を動かすことにおいては同じことです。しかし、労働と運動・スポーツとは異なるところがあります。農作業は仕事、労働として体を動かしますし、運動・スポーツは遊びとして体を動かします。昔の日本でいえば前と悪の違いです。働くことはよいことで、遊ぶことは悪いことだという勤勉、質素、倹約を尊ぶ時代があったことを思い出します。考えてみますと、人は本来遊ぶことが好きな動物なのではないでしょうか。遊んで暮らせるに越したことはないと思います。社会の仕組み上、人はやむなく労働という仕事をしているといえましょう。そうすると、人が最も人として人間性を発揮できるのは遊んでいる時だといえます。人が運動・スポーツで遊んでいる時は人として最も大切な時を過ごしている時で、人としての味わいをかみしめている時です。このように考えると、運動・スポーツの素晴らしさが再認識される気がします。
 次の質問、「プロスポーツ選手のようにスポーツを職業としている人はどう考えるのでしょうか?」。楽しいはずのスポーツを仕事と考え、スポーツでもうけて生計を立てると考えると、スポーツの楽しさはたちどころになくなるでしょう。スポーツは遊びだからこそ楽しいのです。遊びの素晴らしさは、自由で拘束がなく、欲得を考えないことにあります。不景気でせせこましいこの頃であるからこそ、遊びとしての運動・スポーツの意義を考えてみるのも大切に思います。